故人を偲ぶ「記念の集い」とは?
葬儀を教えて、
先生、「記念の集い」ってキリスト教の法要のことですよね? なんとなくはわかるんですけど、もう少し詳しく教えてください。
葬儀スタッフ
そうですね。「記念の集い」は、プロテスタントのキリスト教で行われる法要の一つです。故人を偲んで、生前の思い出を語り合ったり、牧師の話を聞いたりする集まりですよ。
葬儀を教えて、
故人を偲ぶっていうのは、仏教の法要と同じような感じですね。でも、7日目や10日目、1か月後とか、日にちが決まっているんですか?
葬儀スタッフ
はい、一般的には没後7日目や10日目、1か月後の月命日、そして命日に行われます。仏教と比べると、故人が亡くなってから比較的早い時期に行われることが多いですね。また、毎年行う場合も多いですよ。
記念の集いとは。
「記念の集い」とは、キリスト教のプロテスタントにおける法要の形式の一つです。故人の没後7日目や10日目、1ヶ月後の月命日(20日後の場合もあり)、または命日に行われます。 故人の遺影や花を祭壇に飾り、参列者が故人を偲びます。多くの場合、牧師に説教を依頼し、故人を悼みます。
同じキリスト教でも、カトリックでは「追悼ミサ」と呼ばれる形式で行われます。
なお、記念の集いを行う日は、故人にとって「昇天記念日」となります。
プロテスタントにおける「記念の集い」の意味
プロテスタントの「記念の集い」は、カトリックや一部のプロテスタントで行われる「ミサ」や「聖餐式」とは異なり、故人の罪の赦しを祈るものではありません。プロテスタントでは、人はみなキリストの十字架によってすでに罪の赦しを受けていると信じられています。
「記念の集い」は、残された者が故人の生涯を振り返り、神への感謝と、故人の冥福を祈るとともに、参列者同士が互いに慰め合い、励まし合う場として捉えられています。聖書の言葉や賛美歌を通して、神の愛と慰めが語られ、参列者は深い悲しみの中で希望を見出すことができます。
記念の集いはいつ行われる?
記念の集いは、決まった時期や形式はありません。 故人の命日や祥月命日、あるいは故人が生前愛した季節や記念日など、遺族や親しい方が集まりやすい時期に行われることが多いでしょう。
従来の葬儀のように、宗教的なしきたりや形式にとらわれる必要はありません。集まる人々の都合や希望に合わせて、自由な形式で故人を偲ぶ場としてください。
記念の集いの内容と流れ
記念の集いは、故人の人柄や功績を振り返り、生前の思い出を共有することで、参列者皆で故人を偲ぶことを目的とした会です。形式ばったお葬式とは異なり、自由な形式で故人を悼むことができます。
一般的な流れとしては、まず開会の辞で始まり、続いて故人の経歴紹介や、親族や友人、同僚など関係性の深い人が故人とのエピソードを交えながらお別れの言葉を述べていきます。
その後、故人が好きだった音楽の演奏や、思い出の写真のスライドショーなどを楽しむ時間を設けることも多いでしょう。参列者みんなで食事を囲みながら、故人との思い出話に花を咲かせる和やかな雰囲気の中で行われることもあります。
「昇天記念日」との関係性
「記念の集い」は、故人の命日から一定期間が経過した後に、親族や友人が集まり、故人を偲ぶ会です。これは、仏式でいう「法要」や、キリスト教式でいう「追悼ミサ」とは少し異なるものです。宗教的な儀式というよりも、故人の思い出話やエピソードを語り合い、共に過ごした時間を懐かしむことに重点が置かれている点が特徴です。
「昇天記念日」は、キリスト教において、イエス・キリストが復活後、天に昇ったことを記念する日で、毎年5月の終わりから6月の初めにあたります。この「昇天記念日」と「記念の集い」は、直接的な関係はありませんが、「昇天記念日」が故人の死を悼むだけでなく、その魂が天に昇り、永遠の命を得たことを喜び祝う日であるように、「記念の集い」もまた、悲しみを乗り越え、故人との大切な思い出を分かち合い、前向きに生きていくための機会となりえます。
カトリックの「追悼ミサ」との違い
「記念の集い」とカトリックの「追悼ミサ」は、どちらも故人を悼む場ではありますが、その形式や目的には違いが見られます。「追悼ミサ」はカトリック教会の儀式であり、神父様を招き、聖書朗読や聖歌、祈りを捧げることが中心となります。一方、「記念の集い」は宗教にとらわれず、故人の好きだった音楽を流したり、思い出の写真をスライドショーで上映したりと、参列者みんなで故人を偲ぶ自由な形式で行われます。また、「追悼ミサ」は故人の冥福を祈る意味合いが強いのに対し、「記念の集い」は、故人を偲び、その思い出を共有することで、残された者が前向きに生きていくための意味合いが強いと言えるでしょう。