2月15日は涅槃会!お釈迦様の教えを偲ぶ

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2月15日は涅槃会!お釈迦様の教えを偲ぶ

葬儀を教えて、

先生、「涅槃会」って、お釈迦様が入滅された日に行われる法要のことですよね? なんで、お釈迦様が入滅された悲しい日に法要をするんですか?

葬儀スタッフ

よい質問ですね。確かに、お釈迦様が入滅されたのは悲しい出来事ですが、「涅槃会」はただ悲しむためだけの法要ではありません。お釈迦様は死ではなく、煩悩から解放された永遠の安らぎ、つまり涅槃に入られたとされています。ですから、「涅槃会」は、お釈迦様の教えを偲び、私たちも悟りへと向かうことを誓う大切な日なのです。

葬儀を教えて、

なるほど。だから、ただ悲しいだけでなく、お釈迦様の教えを学ぶ日なんですね!

葬儀スタッフ

その通りです。悲しみを乗り越え、私たちに大切な教えを残してくれたお釈迦様に感謝する日でもあるんですよ。

涅槃会とは。

「涅槃会」とは、仏教の重要な儀式の一つで、お釈迦様が入滅された2月15日に行われます。釈尊の三大法会に数えられています。お釈迦様は、自身の死期を悟ると、弟子たちを集め、二本の沙羅双樹の間に床を作らせました。そして、頭を北に、顔を西に向けて横たわり、涅槃に入りました。集まった弟子たちをはじめ、人々や鳥獣たちまでもが、お釈迦様の死を深く悲しみました。

涅槃会とは?

涅槃会とは?

毎年2月15日は、仏教の開祖であるお釈迦様の命日として「涅槃会(ねはんえ)」が営まれます。この日、寺院ではお釈迦様の入滅を偲んで様々な法要が行われます。

では、そもそも「涅槃」とはどのような意味を持つのでしょうか?

お釈迦様の最後の教え

お釈迦様の最後の教え

2月15日の涅槃会は、お釈迦様が亡くなられた日として知られています。この日に多くの寺院では、お釈迦様の生涯を振り返り、その教えを偲ぶ法要が営まれます。

お釈迦様は亡くなる直前まで弟子たちに教えを説き続けました。その最後の教えは「自灯明、法灯明」という有名な言葉で表されています。これは、自分自身を灯明とし、仏の教えを灯明として、迷いのない人生を歩みなさいという意味です。

人生は、時に暗闇の中を歩むように感じることがあります。そんな時でも、お釈迦様の教えを胸に刻み、自ら道を切り開いていくことが大切です。涅槃会は、私たちが自らの人生を照らす灯火について、改めて考える機会を与えてくれると言えるでしょう。

沙羅双樹の下での入滅

沙羅双樹の下での入滅

お釈迦様は80歳でその生涯を終えられました。クシナガラという地の、沙羅双樹の木の下で静かに息を引き取られたと伝えられています。沙羅双樹の花は、仏教において「無常」の象徴とされています。これは、美しい花を咲かせながらも、やがては散っていく様が、人の命のはかなさを表していると考えられているからです。お釈迦様は、その生涯の最期に、生と死は常に隣り合わせであり、永遠に続くものはないということを、身をもって示されたのでしょう。

三大法会の一つとしての意義

三大法会の一つとしての意義

仏教では、1年の中でも特に重要な法要を「三大法会」と呼びます。その中には、お釈迦様の誕生を祝う「灌仏会(かんぶつえ)」、悟りを開いたことを祝う「成道会(じょうどうえ)」と並んで、命日である2月15日に営まれる「涅槃会(ねはんえ)」が含まれます。これは、お釈迦様がこの世での修行を終え、入滅したことを偲び、その教えを改めて心に刻むための大切な法会です。

現代に生きる私たちへのメッセージ

現代に生きる私たちへのメッセージ

お釈迦様が入滅された日として知られる涅槃会。この日、私たちは改めてその教えに耳を傾けることで、現代社会を生きる上でのヒントを見つけることができるかもしれません。

お釈迦様は、人生には苦しみがつきものだと説かれました。それは、病気、老い、死といった避けられない苦しみだけでなく、人間関係や物事が思い通りにいかないことなど、日常で感じる様々な苦しみを含んでいます。そして、その苦しみから解放されるためには、欲望や執着を離れ、心を穏やかに保つことが大切だと説かれています。

情報過多で常に時間に追われている現代社会。私たちは、SNSでの比較や、物質的な豊かさへの憧れなど、様々な欲望や執着に囲まれて生きています。その結果、心に余裕がなくなり、ストレスを感じやすくなっているのではないでしょうか。

お釈迦様の教えは、そんな現代社会を生きる私たちにとって、真の幸せとは何か、そして、穏やかな日々を送るために何が必要なのかを改めて考えさせてくれるのではないでしょうか。

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