宝篋印塔:お墓の歴史と意味を知る
葬儀を教えて、
先生、「法華宗」って、お葬式で聞いたことがあるんですけど、どういう意味ですか?
葬儀スタッフ
いい質問ですね。「法華宗」は一つの宗派の名前ではなく、「南無妙法蓮華経」と唱える日蓮宗など、お釈迦様の教えである「法華経」を根本経典とする宗派の総称を指します。
葬儀を教えて、
じゃあ、日蓮宗も法華宗の一つってことですか?
葬儀スタッフ
その通りです。日蓮宗は法華宗の一つです。他にも、法華経を大切にする天台宗も、天台法華宗と呼ばれることがあります。 なので、お葬式で「法華宗」と聞いた場合は、どの宗派か注意深く確認する必要があるかもしれませんね。
法華宗とは。
葬儀の際に使われる「法華宗」という言葉は、お経の妙法蓮華経を根本とする宗派全体を指す言葉です。「南無妙法蓮華経」と唱える日蓮を祖とする日蓮宗などが、この法華宗に含まれます。そのため、日蓮宗の系統には、宗派名に「法華宗」と付く宗派も存在します。また、最澄を開祖とする天台宗も、同じく妙法蓮華経の教えを受け継いでおり、「天台法華宗」という別名を持っています。
宝篋印塔とは何か?
お墓と聞いて、どんな形を思い浮かべますか? 日本では、地域や時代によって様々な様式のお墓が存在します。その中でも、五重塔のような美しい形で目を引くのが「宝篋印塔」です。
宝篋印塔は、仏教経典である『無垢浄光大陀羅尼経』(むくじょうこうだいだらにきょう)を納めた塔として、古くから信仰を集めてきました。 今ではお墓として使われることが一般的ですが、元々は供養塔や記念碑として建てられたものが多く見られます。
宝篋印塔の歴史と変遷
宝篋印塔は、元々は仏教経典である『無垢浄光大陀羅尼経』を納めるための塔として、中国から伝わりました。日本へは奈良時代後期に伝来したとされていますが、当時は貴族など一部の特権階級の間でのみ信仰されていました。
鎌倉時代に入ると、禅宗の普及と共に宝篋印塔も広く一般に広まりました。これは、禅宗の影響で死者供養の対象が広がり、庶民の間にもお墓を建てる風習が広まったためです。この時代の宝篋印塔は、石造りで比較的小型のものが多いのが特徴です。
室町時代以降になると、宝篋印塔は供養塔としての役割が強まります。特に、戦乱の世で亡くなった人々を弔うために、多くの宝篋印塔が建立されました。また、この時代には五輪塔と組み合わせて建立されることも多くなりました。
江戸時代に入ると、宝篋印塔は現在私たちが墓地でよく見かけるような形式で定着しました。現在では、お墓として広く普及している宝篋印塔ですが、時代によってその役割や形式が変化してきた歴史があります。
宝篋印塔の構造と意味
宝篋印塔は、五つの部分から構成される仏塔で、それぞれが仏教の教えと深い関わりを持っています。
まず、一番下の「基壇」は大地を表し、私たちが生きるこの世界を象徴しています。その上に、方形の「塔身」が立ち並びます。これは人間の身体を表し、中には「宝篋印陀羅尼経」というお経を納めるための空間が設けられています。
塔身の上には、屋根のような「笠」が載っています。これは私たちを苦しみから守る、仏様の慈悲を表していると言われています。そして、その上に続く「相輪」は、仏様の悟りの世界へと続く道を象徴しています。
最上部の「宝珠」は、仏様の智慧を表し、私たちに悟りへの道を示す光を放っていると考えられています。このように、宝篋印塔は、その一つ一つの構造に深い意味が込められた、仏教の教えを具現化した存在と言えるでしょう。
お墓としての宝篋印塔
宝篋印塔は、元々は経典を納めるための塔として建立されました。しかし、鎌倉時代に入ると、供養塔や墓標として利用されるようになり、現在では寺院の境内だけでなく、墓地でもよく見られるようになっています。
お墓としての宝篋印塔には、故人の追善供養と同時に、故人があの世で成仏できるようにという願いが込められています。また、その独特な形状は、五大思想に基づいており、宇宙そのものを表しているともいわれています。
宝篋印塔に込められた願い
五重塔を思わせる美しいシルエットが特徴的な宝篋印塔。その内部には、仏教の教えを記した『無垢浄光大陀羅尼経』が納められており、故人の供養と同時に、後世の人々の幸せを願う気持ちが込められています。これは、お経に記された功徳にあずかりたいという願いと、仏教の教えを広め、人々を救済したいという慈悲の精神に基づいています。また、宝篋印塔は、その形自体が宇宙の構造を表しているとされ、死後の世界における故人の安寧と、輪廻転生による魂の解放を祈願する意味も持っています。